釣り街ダイアリー~富山の生活ほぼほぼ費やし、ヒラメ釣り~

これは平平凡凡な女がヒラメを釣り上げるまでの180日間にわたる激闘の記録である。

立山連峰

 約3年間住んでいた富山県。車で30分圏内に良質の釣り場がごろごろ存在する。

若い頃、少しかじった釣りという趣味に本格的に向き合うこととなったこの時、運命的ともいえる釣りの師匠おさむさんと出会った。
師匠から受け取ったお下がりのリールはSHIMANO、女性にも扱いやすいよう選んだ竿は海釣り用の5.4m。そして、仕掛けは手作りだ。

 魚影の濃い富山湾ではさまざまな魚が釣れる。テトラポッドの間から射貫くように釣るキジハタやエギングで誘い込むアオリイカも魅力的だ。だが何と言っても、港釣りの花形はヒラメである。他の魚は手慣らし程度にたしなんで、毎週のように釣りに出かけたそのターゲットのほとんどはヒラメだった。

 竿を振ることそこそこの期間が過ぎ、ヒラメがよく釣れるという噂の黒部フィッシャリーナで5回目の挑戦。時刻は夕まずめ。とうとうその時は来た。

黒部のフィッシャリーナ

ヒラメは口の形が悪く、餌を食べるのが極めて下手な魚だ。アタリが来てからすぐ合わせてはいけない。目の前の竿先は、大きく弧を描いている。

し、師匠!これは、かかってるの?かかってないの?どっちなの?
しかしこの肝心な時に師匠のおさむさんはトイレタイム。ああもうこの役立たず!「落ち着いて。おさむさんに言われたことを思い出すのよ『まごち20にひらめ40』。竿先が大きくしなってから40秒じっと待つこと。」長い長い40秒を数える。
今?!今なの?!今でしょ!
そして勢いよく合わせるも---ブっチっっ。
あらーーー何てこと。
糸が、切れた!

 なぜこんな大事な時に糸が切れてしまうのか。それは事前にドラグという機能を調整しておかなかったから。ドラグとはリールについている機能で、糸に大きな力がかかった時、その糸が切れないようリールを逆転させてあえて糸を送り出す機構のこと。
 大きな魚は釣られたとき何とかして逃げようとする。この時かかる力を「引き」というが、この引きが大きいと糸が耐え切れず糸切れを起こしてしまう。それを防ぐために急な引きに対してあらかじめ「遊び」を作っておく必要がある。これを「ドラグを合わせる」という。具体的にはドラグ(ねじ)を締めてから2回転半ほど戻し、逆回転できるようにしておく準備がドラグ合わせである。

 この「ドラグ合わせ」を怠っていたので糸が切れてしまったんだな・・。「初心者はドラグ合わせを忘れて糸切れをよく起こすんだよね」と師匠に言われてたのを忘れてた。やっちまったよ。師匠に怒られるから切れたことは内緒にして、墓場まで持っていこう。

 それから180日。釣り場を新湊港に移し、相も変わらず毎週のように釣り三昧。師匠とはもちろん、新湊で出会った地元のヒラメ釣り名人。その他、パラパラといるギャラリーのおじさんたち。
「どうもどうも。今日は釣れますか?」
生餌に小アジを釣り、ヒラメ用の仕掛けは自作すること4作目。竿を垂らせども垂らせどもヒラメは来ない。周りは季節に応じた魚を釣り上げている。夏のサバ、秋アオリイカ、冬カレイ。


いやいや。どんな良型もヒラメでなければ雑魚も同然。ヒラメ一筋180日。なぜか会社の同僚たちも釣りに目覚め、一人また一人と仲間が増えていく。君ら何しに来てんねん。そして何の因果か、新湊でもだんだん顔が利くようになってくる。「ヒラメの(生餌に使う)小アジを釣るのがみょーにうまいねーちゃん」それが私の新湊での通り名になっていった。


 糸切れを起こしたあの忌まわしい黒部の記憶は初夏のこと。今は冬。北陸の冬は本当に鈍色の空だ。寂しい色がせつないのう…。ダウンジャケットに毛糸の帽子。もういくつ寝るとお正月的な、雪も降るだろうって真冬の夜の空の下。それは突然やってきた。

来た来た来た来た来た来た!!!

 竿先が大きくしなったまま動かない。これは本命だ。海の中ではヒラメがアジをくわえているはずっ。

待て待て、焦るな焦るな。

ヒラメの気持ちになって数えること、40秒。取り囲むは師匠、新湊のヒラメ仲間たち、会社の釣り同好会のような人たち。そして何だかたくさんいるギャラリー。みな固唾を飲みお辞儀をした竿先を見つめながらのカウントダウン。・・35・・36・・37・・38・39・40!!

「合わせろっ!!」わかってます、おさむさん!
ジーー、ジーー、ジーーーッ!

ドラグからは糸が出ていく音がする。リールを巻いても巻いても糸が出ていく。すごい引きだ!これは大物だ!そして格闘すること数分、水底から浮かび上がった銀影はヒラメだっ!!! 

「でかいな!」わかってますって、おさむさん!!

なんと美しい姿。その白い腹を見せて竿に抗おうとする。そうはさせじと暴れているヒラメを少し水面に出させ空気を吸わせる。師匠に教わった魚をおとなしくさせる技、出来ましたよ!そして弱ったところを一気に陸へと引き上げる。
港のコンクリートに横たわったその魚影は紛れもなくヒラメだ!
そしてギャラリー全員からは満場の拍手!!

「よくやったな!!」「おめでとう!」「半年もよく我慢したな!!」「今夜はさしみだな!!」「ひらめは美味いぞ!!」

ありがとう。みなさんありがとう!膝も手も震えてます。そうだ、しししし写真!写真を撮らないと!でもでも、涙でヒラメが見えません。
ヒラメ?あたしのヒラメはどこ?

そんな慌てふためく私の隣で、冷静にヒラメから針を外し、獲物のサイズを測る師匠。ぼそっと感想を漏らす。

「糸、切れるんじゃないかと思った。初心者はドラグ合わせを忘れて糸切れおこすからな。初めてなのによくドラグ合わせてたな。」

いや2回目なのよ、おさむさん。

栃木県よろず支援拠点 スタッフ 鳥井